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近代産業遺産×環境学習×アート 犬島探検隊2022〔前編〕

 11月19日(土)、14名の生徒と3名の引率教員が、犬島を訪れ、歴史と環境、アートに触れながら、SDGsについて学びました。

 その様子をお伝えする2回シリーズの〔前編〕では、主に犬島の近代産業遺産と環境学習について取り上げます。

 岡山市東区の宝伝港から犬島へむけて出港します。波も静かで、天気も上々!

犬島は、岡山市東区宝伝・久々井地区の沖合2.2kmに浮かぶ周囲3.6Kmの小島です。


 約8分間の航海で犬島に到着しました。今回の行事では、福武教育文化振興財団の方がガイドとして付き添ってくださいました。

港そばの広場で、犬島についての説明を受けました。
海の向こうに牛窓(瀬戸内市)の町が見えています。


 最初の見学地である犬島精錬所美術館は、1909年から1919年にかけての10年間操業した犬島精錬所の遺構を活用して建設されました。

精錬所時代の煙突は、現在も美術館の空調システムを支える重要な役割を果たしています。


 エントランスに積み上げられているのは、銅鉱石を製錬する時に排出されたスラグ(精錬カス)から作られたカラミ煉瓦です。カラミ煉瓦には蓄熱の性質があり、触ると想像以上に温かく感じられます。

犬島精錬所美術館では、カラミ煉瓦の蓄熱性を利用して暖房費を節約しているそうです。


 最盛期の1917年には、従業員2000名を数え、月間75万トンの銅鉱石を処理した犬島精錬所の煙害はすさまじく、島内ではマツなどの常緑樹が皆無となり、風下になる対岸の牛窓町(現瀬戸内市)では田んぼの稲が枯れてしまうほどだったといいます。

現在、犬島には大きな木がほとんどありません。


 かつて犬島製錬所の周辺は社宅、会社専属の演劇場、料理店、旅館などが立ち並び、夜遅くまで三味線や太鼓の音が聞こえていたといいます。しかし、第一次世界大戦後、非鉄金属暴落の影響を受け、わずか10年でその歴史に幕を下ろしました。

 生徒たちは、社会構造の変化に伴い、地域の産業や人びとの生活が大きく変化することを学びました。

犬島の印象的な風景に関心を寄せる生徒たち。
高台から見下ろした犬島精錬所美術館。
かつて、たくさんの人びとであふれかえった精錬所跡地が森に包まれています。


☆ 近代産業遺産×環境学習×アート 犬島探検隊2022〔後編〕に続きます。以下のリンクからご覧ください。